近藤美知絵さんの自然茶をめぐって(2)
●2005年9月
希少な在来種の茶葉を全国を訪ねて探し出し、同好の士と愉しむ。およそ90%の茶葉は、魚粕や大豆粕など、さまざまな肥料を与えて育てているため、結局のところ、そのうまみが茶葉の味になっているが、近藤さんの自然茶はそうした嫌味がいっさいなく、極めてすっきりとした飲み口だ。何より香りが、一般的な茶葉より格段に高い。
詳しくは、近藤さんが主宰する「お茶を楽しむ会」へ。
均一じゃないからお茶は面白い
「おいしいお茶は石の味がするんですよ」
四万十川上流で作られた釜炒り茶を茶香炉で焙じながら、近藤さんは謎めいたことを言う。葉の形や大きさがバラバラなので近藤さんが「ばんばら茶」と名付けたそのお茶は、淹れる前に軽く焙じると風味が格段と増す。
「石の味とは一体どういう意味ですか?」
「自然のお茶は石を抱え込むようにして深く根を下ろしています。その根はとても強いものだから、やがて石を溶かしてしまうんです。だから私は、石の味だと思うのです」
「そうすると、現代のお茶は、さしずめ肥料の味になっているということですね?」
近藤さんは笑って答えず、「お茶は本来もっと個性のあるものなんですよ。土地土地によって、あるいはお茶の木の1株1株、1葉1葉によって味が変わるのが本当です。均一じゃないからお茶は面白いのです」と言った。
ほどなく注がれたお茶は清冽の一言。体のすみずみまで山の香が染み込んでいく。栄西の言う「養生の仙薬」とはこのことだろう。けっして誇張ではなく、疲労感がすっきりと抜けていくのである。しかも、このお茶の持ち味は香りだけではない。甘みも苦みも、そして酸味さえも感じさせる深さがあるのだ。
その「ばんばら茶」の故郷、愛媛県鬼北町の旧・日吉村地区を訪ねた。同地は山一つ向こうが高知県で、四万十川の支流中最大級の広見川を抱える。文字通り山村水郭の風情。
面白いのは、地元ではお茶をことさら特産品として意識していないことである。昔から付近に生えているものを摘んで飲んできただけだという。農家の畑では山の中から採取してきた種で茶木を育てているが、それもごくごく小規模で、片手間の仕事にさえ見える。
「1本1本になると、いつから植わっていたものなのか、私にもよくわかりませんな」
石垣を段々に配した傾斜地の畑でプラムを栽培する犬飼種季さんも、昔から当たり前に釜炒り茶を作ってきた。犬飼さんの話で一番驚いたのは、ここのお茶は常温で何年でも保存できるということだ。煎茶は通常、春に製茶したものを同じ年の秋に飲むと最も風味がよく、その半年間は冷暗所で密閉保存するのが必須とされるのだが、自然の茶葉はそんなにヤワではないということなのだろう。
「新茶は味が強すぎて、2年モノのほうがまろやかでおいしいという人もおります。混ぜるとちょうどよい塩梅かもしれません」
近藤さんの言葉通り、犬飼さんのお茶も1株1株で味や香りが微妙に違うらしい。しかも、こちらからあえて訊く前に「石垣を割るように根を下ろした木が、なぜか一等味がよいんです」と言った。だからといって、石を砕いて土壌に混ぜるといった野暮はしない。自然のことは自然に任せ、ひたすら待つ。それがお茶を知り尽くした人の知恵なのだ。