作品なのか、作品未満なのか
哲学する陶芸家◎坂本素行に初めてこんなに「やきもの」を訊く(1)
坂本素行 展
2018年7月21日(土)~29日(日) ギャラリー山咲木
撮影 岡崎良一
白と黑ダイヤ柄壺 高17.5㎝
この作品への思い入れの強さについては、インタビューをご参照。花を活けて撮影したのは当然ながら本人の意志で、個展では作家自身がもっと見せ方に責任を持たなくてはいけないというのが持論である。
2018年5月 東京・あきる野市の自宅で
坂本素行(さかもと・もとゆき)
1950年、東京都五日市町(現あきる野市)に生まれる。私立育英工業高等専門学校(現サレジオ工業高等専門学校)を卒業後、日産自動車に入社。カーデザイナーとして働く。76年、独学で始めた陶芸で日本伝統工芸展に初入選。80年、日産を退職し、陶芸家に転じる。以来、高島屋や三越を始め、多数の工芸サロンで個展を開催。象嵌や灰釉の作品で緻密な技術と切れ味のよい造形を見せ、現代陶芸屈指の斬新なデザイン性を確立してきた。私生活では、95年頃から糖尿病を発症したことを機に「丹念な暮らし」を実践。2001年、その経験をもとにした『糖尿病S氏の豊かな食卓』を旧料理王国社から発刊(現在は文春文庫に所収)した。
これは坂本さんが自宅使いにしている珈琲碗。坂本さんも私も大のコーヒー党であるため、家にお邪魔すると、美鶴(みか)夫人と3人でガブガブ飲みながら、おしゃべりをする。それにしてもこの碗の風情、美しくないですか?
坂本さんと私は25年来の友人で『糖尿病S氏の豊かな食卓』という本を一緒に作った間柄でもあるが、本業のやきものに関して直球のインタビューをお願いしたことは一度もなかった。そもそもメディアに需要がなかったし、企画を売り込んで奇跡的に通ったところで、本意ではない方向にネジ曲げられるのがオチだからだ。今回の記事は、自分のサイトだからこそ掲載できる拘束なき内容、拘束なき文字数でありマス。(2018.6.28 由良直也)
表現は変えようとしなくても、
必然的に変わっていくものだ
◇改めて聞きたいんですけどもね、そもそも象嵌を始めたきっかけは何だったんですか?
◆(=坂本)いやあ、そういう話はさ、あんまり意味がないって思うよ。
◇ま、一応ですよ。一応聞いておきたいなと。
◆要はさ、いろんな陶芸家がいると思うけど、技法っていうのはその人の歴史の集合体だから、そこには必然性なんてものはないのよ。例えば、色絵やっている人に「あなたはどうして色絵やっているの?」って聞いてあんまり意味ないじゃん。芸大に行ってたまたま付いた教授が色絵だったから色絵を選択した人もいるだろうし、六古窯を見て焼き締めを作り始めた人もいるだろうし、俺だって薪窯やりたいなって思ったこともあるけども、土地もないし、借りる目安もないしってことであきらめていることもあるわけじゃん。
◇でも、象嵌が面白いと思った瞬間があったわけでしょ?
◆それはもちろんあったと思うよ。でも、それもたまたまだしなあ。ほかのものが面白いと思ったら、別のことをやっていたかもしれない。俺は誰にも弟子入りせずに始めてね、ある人が趣味でやきものをやっているのを見て、俺もやりたいなって思ったわけだけど、その初期の頃に象嵌をやって、それで伝統工芸展に出したら入選してしまったという。26歳のときにね。でも、象嵌以外にも李朝の粉青沙器なんていうのもやってみたいと思ったこともあるし、食器をサヤに入れて薪の窯で焼きたいと思ったこともあるし、いろいろさあ。
◇僕の記憶では、壺好(神田にあった工芸サロン)の密象嵌展(94年)で、革命的に全面象嵌になったように思うんですが。
◆いや、その前から全面象嵌やっているよ。それも大きな壺で。伝統工芸展の初入選作も全面象嵌だしね。
◇あ、そうでしたか。それは失礼しました。じゃあ逆に言うと、今でも象嵌をやり続けているのはなぜ?
◆そういうふうにでき上がっちゃったからねえ。あくまでも結果としてね。ずっと象嵌の技術を磨いてきたし、繰り返しやることで見えてくるものもあるし、世の中に知ってもらったところもあるし。だけど、そういった要素よりも、象嵌で何を作るかということのほうが問題でね。
◇そりゃそうですね。文章で言えば文体か。文体の獲得は必要だけど、問題はそれを使って何を書くかということですね。
◆そうでしょ? だから技法なんてものは、出合いの歴史の集合体のようなものなんだよ。要はさ、そのときに自分が満足できるものをやっているんだよね。で、あなたはよく、俺の作品は個展のたびに変化していると言ってくれるけど、何を作れば自分は気に入るんだろうってことだけで作っているから、当然でき上がってくるものは変化していくわけ。あるときはこれだと思っても、次にはそれを否定したり、そういうことの繰り返しだよね。突然、自分の作品が幼稚に見えてくることもあって、そうすると幼稚なものは作りたくないなとか、品のないものは作りたくないなと思って次を目指す。「品とは何か?」とかって考えながら作るわけだよね。
◇なるほどね。
◆例えば、色をナマで使っていたんじゃないかという反省があったら、じゃあ色というものをどういうふうに捉えるか、とかね。もちろん加飾だけじゃなくて、やきものって、形や質感やそのほかクリアしなきゃいけない要素がたくさんあるじゃないですか。それらをどういうふうに集合させるのかという、そういった脳細胞の動きの中で作品というものはでき上がってくるんだと思うんだよ。
◇だからモダンなんですね、坂本さんの作品はいつも。必然的に変わっていく結果だから。
◆必然的にね。
◇変えようとしているんじゃなくてね?
◆変えようと思ったことはないもんね。
人の欲求を探るのは失礼な行為
自分の思うものを作るだけ
◇世の中はどんなものを求めているんだろう? というようなことを考えたことはないんですか?
◆それはずっと考えていたよね。15年くらい前までは考えていたような気がする。だけど、それは僭越だろうと思うわけよ。
◇まあね(笑)。
◆だって人を量ることだろ? 「こうやれば売れる」っていうのはさ、この程度のことをやれば人は喜ぶもんだっていう言い方に変換できるじゃん。
◇およそマーケティングってそんなもんですよ。
◆うん、それってすごく失礼なことだと思う。最初から人が求めているものを探って作るなんていうのはね。俺の場合、食器を作るときにも精一杯自分が思うものをこしらえるだけだな。それが使ってくれる人の美意識にピタッとハマったり、プロの料理人に何らかのインスピレーションを喚起させることができたとしたらすばらしいことだと思うけど、逆に言えば、精一杯自分を出さないとそういった化学反応も起こらないだろうなって思うんだよ。
◇そもそもマーケティングでモノを作っても、すごく薄まったものしかできないし。じゃあ、坂本さんの場合、自分の作りたいものを作るというスタイルでずっとやってきたと言える?
◆そうだね、基本的には。そのうち年取っていくにつれて、世の中に認められたいという気持ちがますます薄れてきたりしてね。もう売れなくてもいいやって(笑)。で、売れなくてもいいとなると、作品の中でどういう拘束が外れるのか? とかね。そういう要素も作品の中に現れてくるんだよね。いい意味でも悪い意味でも、そのときそのときの自分自身が丸ごと露わになるわけでさ、個展会場に座っているのが恥ずかしいというのはそういうことだよ。
◇あそこにいるのが恥ずかしくないという人は、ましな芸術家じゃありません。
◆でも、そういうふうに作品を見てくれる世界になっているかというと、まあそうでもないから気楽なんだけどね(笑)。でも、気恥ずかしいですよ。