天ぷらの神様は工芸でも神様
「みかわ是山居」早乙女哲哉はリアルな身体感覚で本質を掴む
この店は2009年開店。その際、換気扇も金工作家に発注した。相武常雄の鍛金による「ボルサリーノ」。
玄関上に掛けられている芹沢銈介書の扁額。
これは、2003年に開店した六本木ヒルズのけやき坂通り店。盟友だった故・高橋紘に色絵磁器の陶板を焼いてもらい、それを外壁一面に張り付けた。まるで安土桃山時代の大名のような事績。暖簾の組紐は、女将の早乙女敬子作。
130歳まで現役を続ける予定です
みかわ是山居の予約は今、2ヵ月後にしか取れない。昼も夜も連日満席である。だが、あわてることはない。130歳までは58年もある。本人は「まったく死ぬ気がしない」と言う。
せっかちな人は、長男の具視さんが継いだ茅場町店、あるいは妻の敬子さんが切り盛りする六本木のけやき坂通り店へ行くことをおすすめする。茅場町店は何しろみかわ伝説発祥の地。しもた屋風の粋な店構えは開店当時のままだ。
みかわ是山居 東京都江東区福住1-3-1 03-3643-8383
茅場町店 東京都中央区日本橋茅場町3-4-7 03-3664-9843
けやき坂通り店 東京都港区六本木6-12-2 六本木ヒルズけやき坂通り3F 03-3423-8100
「是山居」の由来と芸大名誉教授
主人の早乙女(そうとめ)哲哉さんは、江戸前天ぷらの「神様」である。かつては「名人」だったが、それを改め「神様」と認定したのはNHKである(2017年5月14日放送のNHKスペシャル「和食 ふたりの神様 最後の約束」)。17歳の年から55年揚げ続けている神の領域の天ぷらについては人口に膾炙し尽くしされているし、私自身も何度書いたかわからないほどなので、ここでは工芸の土俵の上で氏の人物像を語ってみたい(ちなみに、みかわの天ぷらについて、もっとも信頼できる評論は、山本益博氏のものである)。
「みかわ是山居」の「是山居」は「ぜざんきょ」と読む。そもそもは、かつて神奈川県南足柄市の山中にあった三井家所有の山荘の名だ。陶芸家の故・浅野陽さんが名付け親。『正法眼蔵』で道元が言及している禅語「山是山水是水(山はこれ山、水はこれ水)」から案出したという。のち、その地に移り住んだ浅野さんが三井家から是山居を譲り受け、さらに亡くなる直前、この名を芹沢銈介書の扁額とともに早乙女さんに託すよう遺言した。それが現在、みかわの本店(門前仲町)を指す名となったわけである。
浅野さんは早乙女さんの才器を逸早く発見した人だ。上野の「天庄」で修業していた時代から目をかけてもらい、1976年にみかわを日本橋茅場町に開業したときも全面的にバックアップしてくれた。浅野さんは東京芸術大学工芸科の教授(79年就任。90年から名誉教授)。生来骨董好きだった早乙女さんは、次第に現代陶芸にも目を向けるようになり、芸大出身の陶芸家のやきものを中心に、作家の器をフルに店で使うようになっていく。
その中には1客3000円の皿もあれば、1客10万円のぐい吞もある。若手も人間国宝も分け隔てなく使うのが身上だが、若い陶芸家にとって、器作りをこれほど実際的に学べる場はなかった。自分は酒器のつもりで作った片口が大根おろし入れに使われたり、湯呑のつもりで作ったものが海老の尻尾入れとして使われたりする。作り手の意志が形をなしていなかったことや、デザインと用途の整合性などを無言のうちに、そして、ものの見事に教えられるわけだ。
105センチの大鉢をことなげに使う
もう20年近く続けていると思うが、早乙女さんは毎年2月に弟子や友人を集めてフグの会を行う。その際、手ずから大量のフグの切身を薄造りにし、益子の陶芸家、高内秀剛作の直径105センチの大鉢にびっしりと隙間なく盛り付ける。しかも、3客も4客もだ。展覧会場で「こんな大鉢、飾るしかないだろう」と言った評論家筋に対し、「鉢なんだから使えるに決まってるじゃん」と、さもことなげにやって見せたのである。こういった事例には事欠かない。
単なる酔狂と言ってもいいし、そう言われることをたぶん本人も歓迎するが、店での器使いもフグ刺しの大鉢盛りも、すべて共通するのは、誰の真似でもなく、自らの肉体から発したモノのとらえ方や表現方法だということである。器の手触り、口当り、重量感、存在感、経年による変化、食べ物や空間と調和したときに生まれる劇的な効果など、そのすべてをリアルな身体感覚で掴んできた。だから、それを言語化しても絶対に空虚な評論にはならない。
かくして、早乙女さんによって大きく成長した陶芸家は数知れず。百貨店や工芸サロンなどの売り手にも多大なる影響を与えてきた。氏が提案したテーマで展覧会が開かれることも稀ではなかったのである。さらには、早乙女さんの一言でやきものに興味をもつ人が増え、展覧会にこぞって集まるようになった。
もちろん影響力は今も健在。流行りの言葉で言えば、インフルエンサーである。超アナログなインフルエンサー。facebookもTwitterもInstagramもやらないが(というか知らないが)、神様のナマのご託宣だけにその威力は半端ではない。(2018年4月 由良直也)