魚の目利きにイノチガケ
世界一うまい干物を作る「シーボーン昭徳」(個人の見解です)
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外で食べられないことはそんなに重大なことなのか?
小学6年生の娘が「私の座右の銘」という宿題を出され、スマホでいろいろ検索していたが、どうも自分が思う言葉が見つからない。「どういう感じの言葉を探しているの?」と聞いてみると、「毎日毎日を大事に暮らす、楽しく暮らすみたいな熟語」と言う。たしかにありそうでない熟語だ。「日日是好日っていうのがあるけどね、それがいちばん近いかな」。娘は今一つしっくりこないようだったが、父親に気を遣って「日日是好日」をノートに書き取っていた。
日本が欧米並みの感染状況に陥らないのは単なる運に過ぎないのは明らかだし、GO TOのごとき政策を打ち出す感性は、オリンピックや万博の類のイベントでしか経済を活性化する手立てが浮かばない反・日日是好日的感性と同様である。その場当たり的な経済政策によって、今年のオリンピック開催も危機に瀕しているのだから苦笑するほかない。
そもそも「外で食べられないこと」「外で食べてもらえないこと」がそんなに重大なことなのか? ところが、多くの人にとってこれは重大なのである。家で食事を作らない、まして会社に弁当を持っていかないという人の率が多いことは、この間のフードデリバリーサービスの活況が証明している。
外で半端な料理を食べるくらいなら、あるいはUber Eatsに注文するくらいなら、ご飯を炊き、魚を焼き、味噌汁を作って食べたほうがはるかに豊かだと私は思う。半端な料理を出す店は、たいていの場合、器も半端だし、Uber Eatsに至ってはプラか紙だ。自ら作った料理ではなく、なおかつ、まともな器に盛られていない料理は、それは食事ではなく半ばエサである。
おそらくエサをエサとして甘んじて食べることと、一向に進まない働き方改革(そのじつ一向に捨てられない個々人の事大主義)は軌を一にしている。だから、私がもし総理大臣だったら、全家庭にマスクを2枚ずつ送る代わりに全家庭にアジの干物を2枚ずつ送るだろう。「日々是好日」というメッセージを添えて。(2021年1月)
九州の海の底ヂカラ
伊豆や外房で土産品として売られているアジの開きには、地魚ではなく、オランダ産や九州産のアジがよく使われているという。しかし、九州産のマアジを使っているのは、むしろ良心的な商品なのである。小田原や沼津の老舗干物店は、たいてい九州産のマアジを買い付ける。とくに長崎県と佐賀県で水揚げされるものが一級品だ。
「シーボーン昭徳」は佐賀県唐津市の水産加工会社。ここのマアジの開きを初めて食べたとき、これはもう「朝食の定番」というレベルではないと思った。その上、値段も手頃なところがうれしい。高ければうまいというのは、ある意味当たり前だからだ。
マアジだけではない。マサバもサワラもタチウオもカマスもブリもすべて、奇跡のようにおいしい。共通するのは、原料の鮮度やうまみの濃さ、そして脂ののりだが、マサバのように脂質が15%を超える魚でも味にしつこさがない。サラッとしてほのかな甘みさえも感じさせる上品な脂なのである。
魚の質は、水揚げ前にお見通し
言うまでもなく、最重要のポイントは魚の目利き。同社の主な買い付け場所は、地元唐津のほか、長崎、松浦の魚市場。セリでの勝負になるが、実際、プロの業者は、魚が水揚げされる前に、どの船がどこの漁場で何を漁獲しているか、おおよそ把握しているものだ。その情報収集をシーボーン昭徳はどこよりも徹底している。つまり、セリに至る前準備から「目利き」は始まっているのだ。
たとえばマアジの旬が近づいたら、ほぼ毎日社員全員で食べ、その年のベストな漁場を探り始める。それも大雑把ではない。碁盤の目に細かく漁場が区分された海図があり、その中で探っていくのだ。
さらに、毎日食べ続けていると、シーズン当初から旬へ向かって、脂がのっていく具合が手に取るようにわかる。その旬のピークに、狙いを定めていた海域の漁獲情報をキャッチしたとき、一気に買い付けに走るのである。
商品のクオリティの高さもさることながら、何より私はシーボーン昭徳のみなさんの人柄が好きだ。利益を上げるより、食べる人に喜んでもらえるほうが本望だと思っているフシがある。「非効率ゆえの美」という点では、工芸もシーボーン昭徳の魚も同じ。こちらは「非効率ゆえの美味」ということで、まさにイノチガケで目利きした魚である。ぜひとも……いや、必ずお試しください。
(2018年4月 由良直也)
ルーツは伝説の「十字船団」、そして五島の切支丹
シーボーン昭徳は、長崎市に本社を置く「昭徳水産(株)」グループの一員。大・中型旋網船団を4船団も保有する西日本きっての漁業会社だ。昭徳グループの創立は大正7年(1918年)。当時、五島沖や対馬沖で驚異的な漁獲量を誇ったレジェンド「十字船団」が起源だという。さらにそのルーツは、江戸時代まで遡ることができる。五島列島・中通島の浜串という村の漁師たちだ。
ふーむ、「五島」で「十字船団」なのか……。中学生の頃、遠藤周作を愛読していた私としては胸騒ぎを覚えてしまうが、はたしてそうであるらしい。つまり、十字船団は切支丹の末裔。現在の昭徳丸船団にもカトリック信者の漁労長がいるそうだ。まったくもって蛇足ながら、坂口安吾の『イノチガケ』も切支丹史に材をとった小説である。