27年ぶりの座談会◎豊福誠×三上亮×当サイト主(2)
工芸と身体感覚について無理矢理語る
三上亮作 「テロワールのかたち」の酒器
撮影:野田耕一
栃木県さくら市の酒蔵「(株)せんきん」との共同開発により、同地で採取した土や石を原料にして、地域の気候風土(テロワール)をキーワードにした自然派日本酒「仙禽ナチュール」を味わうための酒器を作り上げた。(次頁の本文参照)
●ギャラリー山咲木での個展を前に「テロワールのかたち」事務局主催の「酒器お披露目&先行販売会」が、11月30日(土)にコンラッド東京で開かれる。詳しくはこちらへ。
器の色気について
Y 僕が何を言いたいかというと、色気みたいなものってあるでしょ? 食器にしろ、壺にしろ、色気ってあるじゃないですか。
M 色気?(笑)まあ、たまにはあるかもしれない。でも、あんまりそんなものは気にしないけどね。
Y いやいや、買い手から見るとあるわけですよ。
M 俺はあんまり好きじゃない。むしろ出さないほうがいいんだよ。それで結果的に色気があるなっていうやきものもあると思うし、何点か頭の中に浮かぶけど、そういうっていうのはさ、作るときにはまったく意識していないと思う。俺は作り手だから、色気があるものを作りたいとは思わない。
Y そりゃ頭で考えたらダメだと思うんですよ。いや、僕は作り手じゃないから厳密にはわからないけどさ。
M 意識しないでも滲み出ちゃう? それが嫌なんだよね(笑)。
Y そうかな。頭で意識しないでも出ちゃうっていうのが、僕の言う身体感覚じゃないかなって。
M そうなの、それは手なの。手と体なの。その人の動きなの。
Y あまり好きじゃないの?
M 好きじゃない。
Y 消したい?
M 消したい。
Y へえー。消えていないと思うけどな(笑)。
M だから、消えていないから嫌なの。
Y だってそれが個性じゃなくて?
M そんな個性嫌い。
Y アハハハ。
M そんなところで個性って言っているからダメだと思う。
Y それはよくわかる。でも、個性は出そうとしているんじゃなく、自然と出ちゃうものでしょ?
M そう、出ちゃうからしょうがないんだよね。
Y それが身体感覚だと僕は思う。
M 身体感覚じゃなくて、身体そのものだよね。
Y そうかもね。例えば、なんのテーマもなく粘土をいじらせると、すごく嫌らしいものができるっていうでしょう? つまり性的なものができる。
M うん。
Y ある種アートとしては面白くなる可能性があるけど、それを律して、例えば器として作ると、また別の面白さが出てくる。それが色気みたいなものだと思うんだけど。
M 出ちゃうのと、出そうとして出しているのとは別だからね。
Y そうそう。だから、出ちゃうっていうのはいいじゃないですかね。
M いいかもしれない。それがよければね。
Y その、出ちゃうところで誘われて買ってしまう、誘われて使ってしまうと思うんですよ。
M でもまあ、色気があるからいい器というわけじゃないよね。
Y そうですか? ま、僕自身はそれで選んじゃうところがあるんですよね。
M いい悪いは別にして、そういう器は売れるかもしれない。
Y 色気っていう言い方がいいかどうかわからないけどな。まあ、あまり言葉として使いたくないけど、「味」という言い方もあります。
M 多分そういうのとつながっているんだと思うよ。価値観としてね。昔は「味がある」ってよく言ったじゃない。
Y だから、味も出そうとして出すと、嫌らしいことになる。土味なんかもわざと出そうとして出すものではないでしょ?
M でも、今は出そうしないと出ないからね、土味に関しては。
Y 今は出そうと思って出す?
M そう。昔のものは出そうと思って出していない。だから、そういう価値観が生まれた以降は、出そうと思って出すようになったんだと思う。だいたい出そうとして出したものは、いいものが少ない。
Y 今はそういう器が結構多いんじゃないの?
M どうかな? 今は逆に少ないんじゃないかな。全然出していないよ、味を。味出そうとしている器は思いっきり出しているから、それはまた違う味だよね。そこまで出したら、それはもう味じゃないだろう、みたいな。それはそれで表現になっちゃっているから面白いんだよね。
Y あ、なるほどね。
M 昔の味の出し方って、なんか下心的に出すから嫌らしいものだったけど、今はそこが面白いと思ってバーッと出すから、いい感じの味になっているものがあったりするんじゃないかな。一世代前はさ、「なんか味出るかな?」みたいな感じでやっていたからね(笑)。
Y むっつりスケベってことね?
M そうそう。今のやつは明るいスケベだから(笑)。
Y たしかに、むっつりスケベは嫌だな。荒川豊蔵とか、むっつりスケベですよね。
M あの時代、みんなそうだよ(笑)。
Y いや、唐九郎はドスケベだと思うけど。まあでも、僕が言いたいのは、やっぱり買わせる器、魅力のある器って、なんだろうかってことですよ。これ触ってみたいとかさ、口付けてみたいとかさ。そういうことって意識しないですか? 意識するとまずいとは言っても、感覚として何かあるでしょ?
M まったく意識しないな。年かねえ(笑)。器に関しては全然思わなくなった。いや、昔から思わなかったな。
Y そう? なんか美しい女性に使ってもらたいとか思わなかった?(笑)
M うん、思わなかった。人の器を見て、これにあれ盛りたいとかっていうのはあるけどね。
Y じゃあ、そのとき人の作った器に対して持つ感覚は何?
M 単純にこれに盛りたい、これで飲みたいという感覚としかいいようがないな。例えば、ぐい吞みじゃないものに対しても、これで酒飲みたいというのはあるね。
Y それでいいんじゃないですか。
M それって色気なのかなあ。こっちはもう散々やきものやってきて屈折しているからさ、普通のやきものじゃいいと思わないんだよね。だったら、ペットボトルの蓋で飲みたいとかさ。変なやきものより、こっちのほうがいいと思っちゃうんだよね(笑)。
Y いや、だからね、なんのために器作っているの? ってことですよね。
M 最近は器作らなくなっているもん。
Y 器っていうか、やきものね。なんのために作ってるの?
M 俺はやっぱり焼きだね。焼きが面白いんだよね。この前、沖縄に研修旅行に行ったときもさ、どれもこれも同じ文様の器が並んでいる中でも、これはいいというものがあるものね。それはやっぱり焼きがいいやつ。発色がよかったりね。そうやって専門的に見ちゃうから、なかなか一般論で語れなくなっているんだよね。それが悩みだね(笑)。
T しょうがないね、それは(笑)。サガでしょ。
Y それは技術で評価するか、技術以外のもので評価するかということじゃないの?
M というかね、どれも薪窯でやっているんだけど、ほとんど差はないの。焼きも模様も、釉の流れ具合も。だけど、その中で欲しいと思ったのは、向こうとしては失敗したものなんだよね。だって、それ1個しかなかったから。それがいいと思っちゃうんだよ。そんな感じ(笑)。
Y アハハ。だから、僕が何を言いたいのかって、工芸ってこれから先どういう形で生き残っていくのかなあって、そこなんですよ。たとえ手仕事で作らなくても魅力的なものができればそれでいいのかもしれないけど、そうはいかないでしょ? 藝大としてはさ。こんな将来性のないところに集まってさ、皆さん、何を目指していくんだろうって(笑)。
T たぶん将来性考えてここに入って来た子っていないよね。
Y でも、将来性はあったほうがいいじゃない? なんにしたってさ。そこで何をエネルギーにするのかってことなんだけど。
T ひと口に将来性っていっても、社会一般でいう将来性と、ここにいる連中の将来性の感覚は違うと思う。
M 将来性って、経済効率とか、お金をちゃんと稼いで生きていくみたいなことでしょ?
Y いやいや、それだけじゃなくて、工芸という分野の存在感ですよ。これから先の。日本の工芸の価値というものを、売れようが、売れまいが、次の時代へ遺していくということですよね……あれ? お二人ともそう思わない?(笑)
工芸のコスモポリタンな価値について
M でもさ、それ、日本の工芸と言っていること自体がよくわからない。
Y あー、日本の工芸に限らなくていいですよ、もちろん。コスモポリタンな工芸で。
M それは今、西洋人にとっては一番の問題じゃない? つまり、使えるモノとアートの分け方について、ずっと議論されてきたんだけど、従来使えるモノはやっぱり一段低く見られてきたわけだよね。だからこそアートマーケットというのは、数が限られて、高い値段で取引されるものとして存在するわけじゃないですか。その旧来の考え方を捨てて、分野を広げようとしたときに、使える工芸もアートに入れるか入れないか、というところに西洋人の視点があるわけ。だからこれから先、アートマーケットが行き詰ってくると、違う価値観を求めて、一気に工芸に目を向けていくことがあると思うんだよね。
Y ふーん、そうなんだ。
M 日本には昔から、やきものもアートって呼んでおかしくないような感覚があったでしょ。そのあたりをはっきり認識すれば、逆に日本には工芸しかなかったということが見えてくるわけですよ。だって日本のアートって、みんな工芸的な仕事じゃない? まあ、それがどうこうということじゃないんだけども、もしかすると、世界に向けていちばんアピールできるアートは工芸かもしれないってことだよね。
Y 日本が?
M ま、日本というか、アジア、アフリカというか、西欧的なアート世界ではないものの工芸だよね。そこから世界に向けて発信できるということになれば、それは将来に向かって希望になるよね。中国とかも一緒になってやればいいと思うんだけど。
Y なるほどね、その視点は面白いです。
M それは昔から思っているんだよ。やきものやろうと思った時点から。西洋的なアートより、こっちのほうがすげーと思ったから、やきものを選んだんだよ。
Y 今、日本の竹工芸が世界的に再評価されているけど。
M うん、だけどあれはアートのほうに取り込まれた感じがする。そうじゃないところでやりたいのよね、こっち主導で。すごく難しいことだと思うけどね。
Y アートじゃないところって? うまく言葉にできますか?
M 技術を語るでしょ、苦労して作ったとか。で、うまくなることがいいことじゃないですか。アートはそうじゃないんだよ。うまくなる必要がない。だけど、我々って数作ると、どんどんうまくなっていく民族なんだよね。しかもそこにちゃんと価値があるから、みんなうまくなっていくじゃないですか。多分アートって、そこを断ち切らないといけなくなったりするんだよね(笑)。アートは頭で考えているだけって日本人は言いがちだけど、けっしてそうではなくて、うまくならないようなフィニッシュの仕方をしているんだよ。ま、全部がそうであるとは限らないけど。
Y しかし、「工芸」という概念は難しいなあ。だってマイセンだってローゼンタールだって工芸じゃないですか。日本にも職人の分業はあるけど、日本ほど個人の工芸家がいる国は少ないんじゃないの?
M だからそこなんだよ。
Y それが売りになる?
M それが世の中を変える元になるかもね。ま、変えようと思ったらだけどね。ボイスみたいな社会彫刻みたいな形でさ、工芸で政治を変えるとかさ(笑)。俺は全然興味ないけどね、アートの枠組みを変える可能性はあると思うんだよね。