27年ぶりの座談会◎豊福誠×三上亮×当サイト主(3)
工芸と身体感覚について無理矢理語る
2019年1月25日~2月24日にパリ国立高等美術学校(エコール・デ・ボザール)のチャペル、プチ・オーギュスタンで開催された「フォルム・リミット」展のカタログから、豊福作品の展示。
同カタログから、三上作品の展示。
東京藝大陶芸教室の窯場で。豊福さん(左)と三上さん。
このところの豊福流について
Y 竹工芸ってすごくわかりやすいじゃないですか。素材からしていかにも日本的だし、コンマミリ単位で竹ひご作って、それを緻密に編んでという、ザッツ・ジャパンということで西洋人が評価しているのはわかりやすい。でも、日本のやきものの場合、伊万里や薩摩なら通じやすいけど、そのほかはどうなの? ってどうしても思っちゃう。アフォーダンスというか、単純なシグナルだけじゃない部分があって、それが広く世界に理解され得るのかなって。どう思いますか? 豊福さん。
T いや、話が難しい(笑)。
Y アハハ。じゃあさ、豊福さんは、白磁に絵を描いているとき何を一番に思っています?
T バランスだろうね、きっとね。
Y 自分の心地のよいバランスってこと?
T うん。
Y 例えば、どこかの空間に置いたときにどう作用するとか、これを手に持った人の心にどう作用するのかっていうところまで、無意識に考えていないですか?
T 無意識っていうか、むしろ意識的に考えている。で、どういう見え方をするのか、どういう情感を与えるのか。俺が描いているのはだいたい植物だから、展覧会に合わせてモチーフを選ぶとか、それは意識的に操作しているけどね。それがけっしていいかどうかはわからないけど(笑)。
M そう言えば、豊福先生の作品をパリで見たらすごくよかった。それこそアフォーダンスという意味で、展示室の雰囲気にすごく合っていたんだよね。
Y パリのどこですか?
T ボザールって大学のチャペルの中。
M セザンヌが落ちた学校なんだよね(笑)。
Y 三上さんのも展示したの?
M うん、ワークショップがあって僕も3点ほど出した。そのチャペルがね、すごいんですよ、デコラティブで。その空間に置くと、豊福先生の作品がすごく面白い感じがしたんだよね。ちょっとアールヌーボーっぽくて。
Y ああ、これか!(写真参照)。すごい。なるほど、これは確かに空間と調和している。豊福さんの絵は変わってきていますか? 若い頃と比べて。
T 最近は絵がなくてもいいかなって思うこともあるし、だけど、どうしても不安なんだよ(笑)。ずっと絵を描いてきたから。
Y 例えば形がすばらしかったら、絵に目が分散しないほうがいいということは言えない?
T ま、作るときから、前提として絵があるからね、俺の場合。富本(憲吉)さんは「私がいいと思うのは、絵を描かなかったとき」とかって言ってたけど、それは俺、違うと思うんだよね。それはあと付けの言葉じゃないか。だってあの人は絵を描いていた人だからね。まあ、たしかに絵のない作品できれいだなって思うのもありますけどね。
Y 豊福さんとしては、それではダメなの?(笑)あくまでもやきものが目的であって、絵を描くことか目的じゃないでしょう?
T ロクロを挽いているときなんかに、それ自体が楽しくなることありますよ。だけど、やっぱり絵を描く仕事をしているから、どうしても一つの作品の中で、絵のバランス、色のバランスを考えながら形を作っちゃうんだよね。
Y 昔より描き込みが少なくなっていません?
T うん、だんだん手を抜いている(笑)。
Y いや、そういう言い方はやめて(笑)。手数を省いているということ?
T うん、線の本数を減らそうとかね、線なくてもいいじゃないかっていう。前は黒い輪郭性で括っていたでしょ? あれは要らないよなって。
Y 淡い色彩になっていませんか、最近。
T そうそう、輪郭線がないから淡く見える。輪郭線というのは、きちんと図案化したときに必要になるんだけど、俺の絵には必要ないかもしれないなって思ったんですよ。逆に言えば、輪郭線だけがあるのもいいかもしれないと思って、富本先生、藤本(能道)先生がやっていたような幾何模様がいっぱいあるやつ。そういうものも面白いかなって。
Y 今回、そういう作品を出しますか?
T 出します。あとは線を引かない絵付け。というか、実際は引いているんだけど、その線が焼くと消えちゃうようにしているんですよ。
M 豊福先生の場合、色絵磁器というのは藝大の伝統なんでね。お家芸というか。上絵、色絵の磁器をやってくれる先生がいないのは困るんです。
T じゃあやっぱり、絵がなくてもいいなんて思ったらダメだな(笑)。
やきものがやきものたる所以について
Y 三上さんは、今回、酒器ですよね。
M そう、酒器。だけど、今日話したこととはまったく内容が違うものですよ。
Y そもそもは、ギャラリー山咲木で個展をやる予定ではなかったんでしょう?
M 俺は作っただけでね、「テロワールのかたち」事務局が企画したものだから、作品の発表の仕方については任せているの。つまり、酒蔵の周りで土を探して、酒器を作ってくれというふうに依頼されたんですよ。土のないところで必死に土を探して(笑)。3年もかかったんだからね。
Y ちょっと無理矢理な話だった?(笑)
M いや難しいけど、すごく面白いと思った。そもそも、いい酒だしね。酒蔵自体が自家栽培の酒米で造るということで、ワインと同じテロワールの酒なんですよ。それで酒器もそこの土を使って、全部その土地の中で完結させて酒を楽しめるというふうに考えたわけ。
Y その土地の土で作ったからといって酒がうまくなるかどうかはわからないけど、世界として完結させたことに意味があったわけね?
M うん、そう。しかも、結果として味もよかったんだよね。だけど、そんな無理に土を探し出して作るなんていう馬鹿なこと、普通やらないです。非常に制約がある中で作ったものだから、これが俺の作品だとも主張できない。つまり、そこの土を生かしたぐい呑みしかできない。それをやったということだね。
Y それは三上さんにとって、どういう意味があるんだろう?
M 俺の場合、以前から、そこらへんにある土でやきものを作るということをやってきて、一つ新しい方法論を確立してきたから、そこに当てはめてやって見せたという形かな。で、一石を投じることができるかなって思ったの。やきものの作り方に関してね。そこにある材料で、何とかやきものにする――そういうことやる人はいないでしょ? そういうやきものもあってもいいんじゃないのっていう。酒蔵が例えば瀬戸あたりにあって、足の下に粘土があれば簡単にできるんだけど、宇都宮の近郊だったからね(笑)。
Y 大谷石はありそうだけど。
M 大谷石も使ったんだよ。酒蔵にあったからね。それを砕いて混ぜた。
T 土はどこで見つけたの?
M 車で走り回って、あそこにありそうだっていうんで行ってみて掘る。そんな感じでね。ま、土というのか、なんていうのか。
T 粘土ではない?
M 粘土ではない。多少は粘ったけど。そういう土を何種類か混ぜて、大谷石も入れて。
Y それを何回か窯で焼いて?
M だから、テストするのに3年かかった。だけど、俺はそういうことするの好きだから。それもやきものだって思う。
T それはね、三上君しかいないよ、やる人(笑)。
Y そうなんだろうな。
M 今はやきものって産地がわかりにくくなったでしょ? 昔は産地が明確だったし、そこに特色のある表現があったわけでね。そういうものが、窯業の大量生産化の中で薄まっている。業者さんが大量に土を掘って、誰でも使いやすいようにして売っている中で、失われていった部分というものがあって、それを俺はやってみようという。土探して掘って、なんとか粘り出して、形にするということもやってみましたっていうね。
Y 「土着」という言葉はダサいかもしれないけど(笑)、今回の酒器のように、一つの土地の中で完結するというのも、一種の身体感覚のような気もするけど。
M そうそう、だから土探すのも身体感覚。地図片手にいろいろ車で走り回ってね。地図に川があったら、そこらへんに行ってみようとか、地層見たりとか。以前から遠野に行って土を見つけてきたりしていたから、そういう感覚も養ってきてわけですよ。
Y それはなぜ遠野に?
Ⅿ それはちょっと縁があっただけで、別にどこだっていいんだよね、粘土があれば。ま、遠野の場合は土管焼いていたから粘土は豊富なんだけど。
Y それに比べると、今回の酒器はかなりの力業だったわけでしょ?
Ⅿ だから、これはある種の力だと思う。やきものを個人でやる上での。今はすごく増えてきているよ、そういうふうに自分で土探して作る作家が。
T そうだね、増えてきているね。
Ⅿ 今回は3年苦労したけど、まあ、結果としてはいい土になりましたよ。土味がある。
T ここの学生も、ついつい陶芸教室で使うような粘土を使ったりするものだから、土に対する意識というものがすごく低い状況が続いていたんですよ。ま、島田(文雄)先生も僕も磁器ばっかりやっていたから、土のことはほとんどわからなかった。で、それはもうずーっと気になっていたことだったんで、それがわかる人はこの人しかいないんじゃないか、ということで三上君にお願いしたわけですよ。
Ⅿ 最近は学生も、土に対する意識が変わってきてますよ。
Y 結果いいやきものになるかならないかは別として、やっぱり土から感覚を養うということがないとダメでしょ?
Ⅿ もうその感覚がないとダメ。というか、ずっとそれが僕の興味の対象だったから、今回の酒器で少し回収できたということかな。
Y 土といっても粘土じゃなくて、三上さんの場合、生の土からの話だからなあ。
Ⅿ だって、それがいちばん面白いんだから。それに、昔はみんなやっていたことでしょ?
Y たしかに。
Ⅿ で、違うんだから。
Y 何が?
Ⅿ できるものが。それは土だけじゃないんですよ。そこに焼きが加わって違うものができる。大きく言えば、そこをやるのがやきものであってね。その中に、器もあり、オブジェもあり、彫刻的なものあり、というふうに捉えたほうがいいと思うんですよ。
T うん、そこがすごく、やきものの大事なところだよね。陶芸たる所以というか。土と焼きがうまく合致していないと、いけないということだよね。
Ⅿ 一口に「焼き」といっても難しいんだけどな。
T だから、時間かけて焼いたからいいというわけでもないし、そういった要素が合わさったところで魅力が出てくるという。で、全部が全部同じものができるわけじゃないし。
Ⅿ そう、そこが色気みたいな部分になるのかもしれないけどね。だから、作るときは色気なんて考えないことになる。
Y そりゃもちろんそうでしょ。だけど、世間に出す以上は何らかの魅力を訴えなきゃいけない。そこをどうするかっていうのがすなわち工芸だと思うし、それをお二人とも、意識はしようがしまいが、やってきたと僕は思いますけどね。